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構想のよりよい実現に向けて −「それぞれの正義を考える」−

2011年 1月28日
前高知県知事、SDM特別招聘教授 | 橋本大二郎

講義録に寄せて

慶應義塾大学大学院のSDM研究科は、創設以来、様々な分野で活躍し、優れた実績を残してきた先導者をお迎えして、「SDM特別講義」をお願いしてきました。こうしたなかで、2011年1月28日に行われた橋本大二郎氏の「構想のよりよい実現に向けて」という公開講座はとりわけ大きな反響がありました。この講座に参加した教員や学生から、講義の全文を記録に残してほしいという声が多く寄せられましたので記録をまとめてみました。

講師の橋本大二郎氏は、20年間NHKで記者として、その後16年間は高知県知事の要職を歴任されました。今回の講義は橋本氏の記者時代と県知事としての豊かな経験に基づいて、公共政策に関わる「構想」と「実現」について、幅広い知見が示されました。

SDMは、工学から社会まで幅広いシステムのデザインとマネジメントについて学ぶ研究科です。今回の公開講座は、社会システムにおける「構想」(=デザイン)と「実現」(=マネジメント)について、様々な具体例を取り上げて、その課題と解決策について極めて具体的で分かりやすいお話を伺うことができました。

この特別講義の後で、教員、学生の区別なく多かれ少なかれ感嘆の声が上がりました。橋本氏はこの講義に際して一切のメモなどを見ることなく、淡々と受講者に向かって語りかけました。核燃料廃棄物の処理をテーマにした選挙の得票数から江戸時代の河川行政の年号まで、一点の淀みなく諳んじるように話された。どれほど時間をかけて準備をしてこられたかが窺われました。

このような有意義で素晴らしい講義ですから、講義内容を読んでいただければ、内容の理解はなんの支障もないと思います。しかしながら、講義録がかなりの長文に及ぶことから、概要と解説も作成させていただきました。

概要と解説は、受講者を代表して私、木下が作成しましたが、講義録全文についてはSDM職員、学生が分担して行いました。論文やレポートの執筆にも是非役立ててください。

特別講義の概要

橋本氏は一貫して国と地方の関係のあり方、つまり中央集権体制から地方分権型(橋本氏は「地域自立型」と呼んでいます)への転換が必要であると主張されています。そのためには権限や財源を国から地方へ移譲すること。それによって各地域・住民が求めていることを汲み取ることができ、更には日本国全体として活気を取り戻すことができると主張されています。このような考えを前提において、講義内容に目を通していただけると、より内容の理解度が深まると思います。

特別講義の内容は、大きく三つのパートに分かれます。

  • 高レベル放射性廃棄物の最終処分場をめぐる問題
  • 八ツ場ダムの建設中止をめぐる問題
  • 「第三の開国」「平成の開国」について

橋本氏ご本人が述べられているように、この三つの内容には、一見すると関係性のない唐突な内容との印象を持たれる方もいると思います。しかしこの講義はテーマの通り一貫して、「構想」と「実現」に向けての、問題提起とその解決策について示唆に富む見解を述べられています。

一つ目のパートである「高レベル放射性廃棄物の最終処分場をめぐる問題」は、2006年から2007年にかけて高知県東洋町で起きた高レベル放射性廃棄物の最終処分場の誘致に向けた調査の騒動について触れられています。当時の町長が議会に諮らずに文献調査に応募したことにより、東洋町が最終処分場の賛否をめぐって二分化したことを取り上げています。

このパートで重要なことは、地元住民が何を求めているかを「正義」という言葉を用いて説明しています。ここで強調している点は政策を「実現」するためにも、地元住民にとっての「正義」に配慮した政策のシステムデザインが必要だということです。

さらに原子力政策のような国民的問題については、国民レベルで話し合う機会と、地元レベルで話し合う機会の2段階の話し合いが必要であると提唱されています。
このような方法で議論することにより、一般市民も理解し、特定分野の専門家による部分最適になりがちな政策を、より全体最適につなげられると述べています。

二つ目のパートである「八ツ場ダムの建設中止をめぐる問題」では、群馬県長野原地域の地元住民の「正義」と同様に、ダムによる恩恵を受ける首都圏を中心とする利根川下流域の地域・住民の「正義」も併せて考慮することが必要であることに触れています。治水利水を目的として構想された八ツ場ダムの建設が中止されたことにより、利根川が万一氾濫した場合には、沢山の地下鉄や地下街がある東京の下町地域に激流がくることが想定されます。

さらに橋本氏は公共工事に関する見解を続けます。一つの公共工事が別の公共工事をもたらす。「公共工事の連鎖」について、高知県仁淀川の大渡ダムを事例として紹介しています。大渡ダムが造られたことにより下流域の洪水対策が行われたことは確かです。しかしその一方で坂本龍馬の銅像がある桂浜では「五色の石」と呼ばれる小石が流れてこなくなったこと。また長浜と呼ばれる海岸線が浸食され堤防工事が必要になったこと。さらに大渡ダムのダム湖に貯まった水の水圧で起きると考えられる地滑り対策の事業が必要になるという、公共工事の「連鎖」についてご説明されました。

このように、公共工事は地元地域・住民に限らず、恩恵を受ける地域・住民への配慮、また公共工事が公共工事を呼ぶ連鎖反応など、横軸・影響範囲の問題と、数十年経過しても完了しないという時間軸・縦軸の問題をそれぞれ考慮して解決策を模索することの必要性を説いています。

三つ目のテーマである「第三の開国」については、視点を広げてこれからの「日本」のあり方について説明されています。

そもそもの「第一の開国」とは幕末から明治維新にかけての開国。「第二の開国」は太平洋戦争の敗戦に伴う開国。これに続いて今の日本は「第三の開国」が求められている時と捉え、準備を整えることが必要であり国益に適うと述べています。

「第一の開国」では、黒船の到来によって植民地になる可能性もあった日本が、実は鎖国をしていた江戸時代に、既にその後の近代化に対応できる土壌が整っていたことを紹介しています。

「第二の開国」では、太平洋戦争の敗戦という大きな悲劇があったにも関わらず、ほぼ10年で「もはや戦後ではない」と呼ばれ、その後は奇跡と呼ばれる高度経済成長を果たした時代を示しています。これには新しい価値を生み出していこうという「イノベーションの気風」が第二の開国を成功に導いた大きな要因であるとしています。

それでは「第三の開国」では何が必要であるか。それは「地域自立型の国」を目指すことが必要であると述べています。日本の国内体制整備をどのようにすればよいかについては、国際分業に委ねることと、産業構造の改革変革が今求められているとしています。

そして、そのような転換を図るためには、現在の中央集権の国の仕組みを改めて、国が持っている権限や財源を地方に思い切って回すことが大切であると主張されています。各地方自治体に権限と財源を移譲することで、様々な恩恵をもたらすことができ、そのような営みを通じてイノベーションの気風が生まれ、第三の開国を支えていく、新しい国の力になるとしています。  
(SDM研究科 木下雅治)

【講義録】構想のよりよい実現に向けて
−「それぞれの正義を考える」−

はじめに

皆さんこんばんは。ご紹介いただきました。橋本大二郎です。本日はシステムデザイン・マネジメント研究科の特別講義に講師としてお招きいただきありがとうございます。

私も、日吉に来るのは何年ぶりか分からないくらい久しぶりのことです。大学生の頃にあまり真面目にキャンパスには通いませんでしたので、今日キャンパスに来ても様子が全くわからず、ようやくここにたどり着きました。

ですからそんな自慢できる学生ではありませんでした。その慶應を出てから、先ほどご紹介があったように20年間NHKで記者をしました。それから16年間、これは縁もゆかりもなかった高知県で知事を務めました。その後に、兄の龍太郎の後を追い総理大臣をしたいと思ったのですが、少し欲を張りすぎたのか、意地を張りすぎたのか、その挑戦は上手くいきませんでした。

そこで少し方向を転換して、自分の記者時代の経験、また知事としての経験、それをふまえて現在、自分がかくあるべしと思っていることを、これからの国、地方、企業を支えていく世代の皆さん方にお伝えできればという殊勝な気持ちになっております。そのような思いで今日この講義の講師をお引き受けしました。

今、ご紹介いただいた手嶋さんは先ほどお話がありましたように、この慶應を出て同じくNHKの記者になった方ですが、記者としては私の2年後輩になります。ただ手嶋さんは政治部からアメリカを中心に国際的な仕事をされていましたので、机を並べて仕事したというようなことは、ありませんでした。

もう一人同じ時期に慶應を出てNHKの記者になった人に池上彰さんがいます。記者としては僕の1年後輩ですが、社会部では10年間彼と一緒に、時には机を並べて仕事しました。当時から池上さんは、来週のニュース番組の企画が空いているという時に、池上記者に頼めば大丈夫。だいたい3、4日で企画ニュースをきちっと作ってくるというので、デスクにも非常に重宝がられていました。ネタの宝庫といえばネタの宝庫なのですが、皆さんが知っているようなネタでも、それを良い形に料理をする、切り口を考える。天才のような、業師のような人だったと思います。

このように考えますと、同じく慶應を出て同じ時代にNHKの記者になった人の中でも手嶋さんや池上さんは、色々と特異な才能をお持ちですが、私はそのような意味では特異な才能がありません。隣の芝生は青いのかもしれませんが、お二人のことを自分は大変羨ましく思っています。強いて共通点を探せば、そのNHKで定年まで勤めることが出来なかったというのが共通点といえば、共通点です(笑)。

今日はシステムデザイン・マネジメント研究科での特別講義ということで、先ほど狼先生からお話がありましたように、私も実はSDMのホームページを見て講義の内容を考えてみました。

私たちを取り巻いている色々な要素、人間もあります、技術もあります、社会環境、そして自然環境、こういう要素を上手くまとめあげて、新らたな構想を考える。そして、構想を創りあげるだけではなく、その実現に向けてシステムを動かしていく。それを出来る人材を養成するのだということが掲げてありました。

そこで、自分自身が知事として経験したいくつかのことをもとに、こうした構想のよりよい実現のためには、何をすれば良いのか。今のシステムの何が悪いのか、ということを中心にお話をしてみたいと思います。

今回の特別講義でテーマとして取り上げることは3つあります。1つ目は、県知事の時に高知県の東洋町で起きました、高レベル放射性廃棄物の最終処分場めぐるテーマです。

2つ目は、民主党が一昨年のマニフェストとで掲げた八ッ場ダムの建設中止に関するテーマです。

3つ目は、菅総理が1月4日の年頭の記者会見、また所信表明演説で強調された「第三の開国」「平成の開国」ということをテーマにしてみます。

というと、3つは全く脈略がないと感じられると思います。確かに3つのテーマが直接関わっているわけではありませんが、新しい構想のよりよい実現のためにどうすべきかといという話をしようと思います。それを網羅するために、敢えてレベルは異なるのですが、3つのテーマを掲げました。山盛り沢山で分かりにくいと感じられるかもしれませんが、一生懸命話しますので、ぜひ聞いていただければと思います。

1.高レベル放射性廃棄物の最終処分場をめぐる問題

では第一のテーマに入ります。高レベル放射性廃棄物の最終処分場のテーマとは何かと言いますと、原子力発電というのはウラン235が入った燃料棒を炉心に入れて、そのウラン235の核分裂で起きる熱で発電をします。このウラン235が燃え尽きると、使用済みの核燃料というものが出来てきます。

そして、この使用済の核燃料の中から、燃え残りの235を探し出し、再処理してプルトニウムを作り出すという技術があります。それでも結局5パーセントくらいは全く使えない物質が出来てしまいます。これが高レベル放射性廃棄物というものです。その名の通り、放射性が非常に高く人体に非常に危険です。更に放射能の半減期も何万年という長さですから、人体から全く触れることが無いようなところに処分しなければいけない。日本ではこの高レベルの廃棄物をガラスの中に固め込み1.3メートルのジュラルミンの筒に入れて地中深く埋めて処分します。

法律上は、地下300メートル以下ですが、実際は500から1,000メートルくらいの地中深くに埋める処分計画になっています。この計画のもとになる法律が出来たのは2000年の6月のことです。この処分計画には一つの特徴があります。国がこの土地こそ適切だと指定をして話を進めるのではなくて、市町村の側が自分達の土地で、自分達の町で、この処分場が出来るでしょうか?その調査をしてください、と手を挙げるシステムになっています。

こうした公募というシステムが始まりましたのが、2002年12月のことでした。最初は、公募をして調査が始まると、それだけで2.1億円のお金が交付されるというシステムでしたが、それではなかなか手が挙がらず、2007年にこの最初の交付金の金額が10億円に一挙に跳ね上がりました。

実は2007年の1月から2月にかけて、東洋町という高知県の一番東側、徳島県との県境にある町で町長さんが、議会の承認もない、承認どころか議会に諮ることもしないで、自分一人の判断でこの文献調査に応じますと手を挙げました。

私はすぐに町長さんとも話をしました。更にこの処分計画の実施を任されている団体の原子力発電環境整備機構(NUMO)の理事長さん、さらにその監督官庁である資源エネルギー庁長官のところに行って、今のこのシステムではこのままでは絶対に最後まで実現に行き着かないと申し上げました。

どこか途中で必ず町長のリコールが起きて計画が頓挫してしまう。だからこの応募を一旦は受理せずに、ゼロから一度議論していきましょうと伝えました。しかし、なかなかご理解はいただけずに、経済産業大臣の認可、つまり文献調査の認可が下りるという方向に話は進みました。

一方、町では町長さんのリコール運動が起きました。そうすると町長はこのままではリコールになる、それをただ座して待つよりは、先手を打とうということで自ら町長を降り、そして出直しの選挙に自分が出馬して、この文献調査に手を挙げたことの正当性を主張するという道を選びました。ところが、この選挙の結果、文献調査に反対の立場の対立候補が1,821票、元の町長さんは761票。つまりダブルスコア以上の票差で元の町長さんは負けてしまいました。

当然新しい町長さんはこの文献調査の応募を取り下げました。それと同時に議会でも、高レベルの放射性廃棄物が町へ入ってくることを断固拒否する条例を作ってしまいこの話はそのまま頓挫をしてしまいました。

皆さんもご承知のように、今の日本の電力量の30パーセントは原子力発電で担われています。そのような状況の中で、日々出てくる使用済みの核燃料、これの一時貯蔵はもちろん、それを再処理した後の高レベルの放射性廃棄物も、日本のどこかで適切に処分しなければいけません。このことは、多くの国民が総論として必要だと考えると思います。国として絶対に取り組まなければならない課題の一つだと思います。

それであれば尚更、その処分計画というのが「構想計画」だけではなく、最後の「実現」までいく道筋を選ばなければいけません。そのようなデザインが必要なのに、私は今の計画はそのようなスキームになっていないと思うのです。

この問題の背景として、この処分計画が始まったのは、小泉政権の時代と重なります。その中で国と地方との関係の中で「三位一体の改革」がありました。この三位一体の改革によって、地方自治体の運営には絶対欠かせない貴重な財源である地方交付税が大幅に削減されました。ですから地方自治体はその年その年の予算組みにもなかなか苦労するという状況になりました。この東洋町で言えば、一時期は予算規模が30億を超えていましたが、この三位一体の改革などが起きた2004年、2005年には、その予算規模が23億にまで落ち込む状況になりました。

様々な評価はあるにしろ、三位一体の改革により、自治体の運営に欠かせない地方交付税が大幅に削られました。その一方で手を挙げさえすれば10億円交付するという札束で頬を叩くような、そのようなやり方を地域の人がどう受け止めるか、その感受性に配慮したデザインがシステムの中に組み込まれていないと僕は思います。

この東洋町は、去年10月時点での住民基本台帳で、もう既に人口が3,129人にまで減っています。一時期5,000人を超えていた町ですが、それぐらい人口も減り、当然高齢化も進んでいる町です。しかし、そこに住んでいるお年寄りを中心に住民が、毎日何か暗い気持ちで、重い気持ちで日々を過ごしているかというと、決してそんなことはありません。山と海に囲まれたとても長閑な中山間の地域です。

そこで魚を取り、米を造り、またポンカンという柑橘類を造り、そういうことでみんなが長閑に楽しく過ごしているという町です。ではそういう町に暮らしている主にお年寄りを中心とする住民にとっての関心は何かということを考えた時に、高レベル放射性廃棄物の処分場が安全か、危険かなどということは、そういう方々の第一の関心では明らかにあり得ません。

そこに10億円のお金が出てくると言っても町長や、議会議員や有力者と言われる人は、そのことに関心を持つかもしれませんが、私は、一般の住民の人たちは、そのようなことには優先順位としてそれほどの関心を持たないだろうと思います。

そういう地域の住民の方が何に一番価値観を置くか、関心を持つかといいますと、それはお互いが楽しくのんびり過ごしている、そういう日々の暮らしを邪魔されたくない。平穏な長閑な毎日をずっと続けていきたいということに一番の価値観があると思うのです。

そういう時に、手を挙げれば10億円が出てくるというような仕組みをしていれば、当然その10億円に群がる人たちがそこに入ってきます。また一方ではただ何が何でも反対だという人もそこに入ってきます。そういう人たちが町の中で群がり空中戦を繰り広げる。そして町が二分をしたような感じになってくる。

こういうことを早く止めて欲しい。そして一番大切なその長閑で、静かな暮らしを取り戻したいということに、みんなの価値観が向かいます。そのことが、新しい町長。実はその新しい町長さんは東洋町の人でもなく、地域の他の人たちが誰も出る人がいないからといって出馬したのですが、それでも1,821票、ダブルスコア以上の票が集まる。という形になりました。

少し話が逸れますが、去年に人文・社会科学の分野で大きな話題になったのは、ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の講義でした。NHKがサンデル教授の「白熱教室」として教育テレビで流してブレイクをしました。僕はあの番組がブレイクする前にたまたまテレビを観ており、一体何だろう、アメリカ人だから例のテレビ宣教師かなと、何か新興宗教のおじさんかなと思いました。そういえば、目つきもそんな雰囲気だしと思って、聞いておりましたが、聞いていくうちに、正義や公正だと言っているのは、宗教ではなく、政治哲学なのだと理解できました。
あのサンデルの授業がなぜあれだけ関心を集めたか、一つは大教室で学生とやり取りしていくというやり方に新鮮さがあったのでしょう。さらにイチローの給料と大統領の給料、その金額の違いをどう説明できるのかというような、とても身近な話題でこれからの正義というものを議論していくというところに、多くの関心を呼んだのでしょう。

それを東洋町の話に当てはめてみます。東洋町の方々にとって何がその地域のこれからの正義か、何が一番優先順位の高いことか、何が価値をもって受け止められることか、それをシステムのデザインの中に組み込んでいかないと絶対に構想は実現していかないと思うのです。

にもかかわらず、今作られている高レベル放射性廃棄物の処分計画というのは、一つは原子力の科学技術の専門家の人が、これはもう絶対安全で安心だという自信を持って作った技術的なスキーム。そして一方はこれまで原子力のことに関係をしてきた人たちが、原子力発電所の立地から得た経験、つまりもうどう言ったって反対派の人が色々と反発する。そういう人たちを納得させるには町長や議員にお金を渡すというと表現が悪いですけれども、そういう人たちを納得させるだけの交付金を出していく。そういう仕組み以外には成り立たないのだという、言わばトラウマに近いような思い、その二つが重なって出来ているのが、今の処分計画のスキームではないかと僕は思うのです。

ところが、この原発立地というのが盛んだったのは、今から振り返ればもう何十年も前のことになります。当時は、過疎化が進み高齢化が進みはじめていましても、それぞれの地域にはまだ次の時代を担う人たちがいて、その人たちを元気づけていく。そのことによって町を元気づけていく。その財源として原発の立地交付金を使うのが良いか、それとも別の道を選ぶべきか、ということがきちんと議論になって噛み合いました。

しかし、今の地方というのは、高齢化という意味でも、過疎化という言う意味でも、こういう峠を既に越してきています。そういう地域の中にあって今暮らしている皆さん方は、これからの次の世代の地域振興が何かということよりも、自分たちがどうやって静かに、そして長閑に暮らしていけるかを最大の関心事として思い描いています。そういう地域のこれからの正義ということに応えていく。その価値観を持ったシステムをデザインしていかない限り、この構想は絶対に実現していかないと思うのです。

「テクノロジー・アセスメント」と「コンセンサス会議」

さあ、それでは具体的にどういうデザインをしていけば良いのかということになります。高レベル放射性廃棄物というような国民的な課題は、まず国民のレベルできちんと議論が噛み合うような土台や土俵を作っていく、議論を整理していく。そういう意味での国民的な合意を形成する場を作ることが必要だと思います。併せて、その次に今度は地域で、地域に暮らす人たちとその理解を深める合意形成の場を作っていく。この二通りの仕組みが必要だと思います。

まず、国民的レベルでの合意形成ということですけれども、ここで使われる手段は、例の「テクノロジー・アセスメント」だと私は思います。この特別講義の過去のものを調べてみましたら、昨年の4月原子力委員会の委員長代理である鈴木達治郎先生が、このテクノロジー・アセスメントのお話をされています。日本語では「技術の社会影響評価」と訳されています。

科学技術は私たちに様々な恩恵をもたらします。しかしその新しい科学技術というのは、自分たちのこれまでの知見や経験では予想もしない別の副作用つまり何か悪いことを起こすかもしれない。この構想を進めていく手続きを専門家や科学技術者だけに任せていくと、その人たちの専門の視野だけで、部分的には最適であっても、全体最適にはならないものが出来ていく恐れがあります。また一般の人たちが見たときに、「これおかしいね」と思うものが、平気でそのまままかり通っていくことになります。

ですから、そこに一般の市民の目による評価を付け加えていくというのが、このテクノロジー・アセスメントです。そもそもは1970年代に原発を国策として取り入れるかどうか、このことで国が二分したデンマークから始まった技術です。
このテクノロジー・アセスメントをデンマークでは1980年代に、「コンセンサス会議」という形の一つの仕組みにしました。それが1990年代にはアメリカやヨーロッパにも渡り、欧米ではずいぶん日常的に使われている手法です。

具体的にはどうするかといいますと、色々なテーマごとに遺伝子治療だとか農産物の遺伝子組み換えだとか食糧の放射線の照射だとか、そういう色々なテーマごとにその議論をしてもらう市民に手を挙げてもらいます。手を挙げてくれた市民の中から、性別、年齢、仕事、様々な経験など、そういうものが重ならないように、今の日本で言えば裁判員を選ぶというような形で市民パネルを14、5人選びます。

一方専門家も1つの分野の狭い専門家ということではなく、医療の話であれば医者だとか医学の人だけではなく、法律や倫理に関わる人、福祉や財政に関わる人、そういう幅広い専門家に集まってもらいます。

まずはその14、5人の市民パネルの人たちが、与えられたテーマで何が一番の問題、課題、疑問かと、どういうことを専門家に質問すれば良いかを議論して、その質問項目をまとめます。1日目は市民の方々が専門家に対して質問をし、専門家から色々な答えをもらう。答えをもらって、その1日目の夜、また市民パネルの人が今日分かったことは何か、また残った疑問、課題は何か、次の質問はどういう質問がいいか、ということを議論します。そしてそこでまとまった質問を持って2日目その会場に行き、専門家に問いかけて意見交換をします。そして2日目の夜、そこでの意見交換をもとに、そのテーマに対する市民パネルとしての考え方をまとめます。3日目にその考え方、提言を公開し、そこでまた議論を深めるという仕組みになっています。

ここで大切なことは、最初から賛成、反対と意見が決まっている人、利害関係のしがらみがあって賛成せざるを得ない人、感情論的に確信犯として反対だと言い募る人、そういう人を排除することが大切です。また専門家も限られたその分野だけではなく、広く色々なことを適切に語れる知見を持った人、さらにコミュニケーションの力、ディベートの力のある、そういう人を選んでいくということになります。

こういう形でそのコンセンサス会議をすれば、専門家が部分最適だけで終えてしまうようなものを少しでも全体最適につなげていくことができる。また一般の市民から見ればおかしいという流れを改めていくことが可能になります。

日本でも実はすでに遺伝子の組み換えですとか、また乳癌の治療法などについて、このコンセンサス会議というのが部分的に試みられています。私はもうそろそろ、この高レベル放射性廃棄物の最終処分というような国民的課題についても国民レベルで、テクノロジー・アセスメント、コンセンサス会議を開いてみてはどうか、ということを思うのです。そこで後に議論が噛み合っていくようなきちっとした論点整理をしていく、議論のための土俵を作っていくということが必要ではないかと思います。

先ほど手を挙げれば文献調査が始まると言いました。その後、文献調査、概要調査、精密調査というように進むのですが、それぞれの調査でどんなことが分かったら次に進めるか、どんなことがわかったらここは適当な土地ではない、不適だという結果が出るのか、そういう基準を後付けでやっていくのではなくて、最初からきちっとルール化をしていくなど、やるべきことは色々あると思うのです。

このような国民レベルでの合意の形成、議論の整理ということができた後、今度は地域での住民の皆さん方との合意の形成ということに進んでいきます。地域でという場合には、もちろん町長や議員だということではなくて、最初から地域にこの情報を公開し、そして住民の方々がどう反応してくるか、その反応を住民のアンケートなどで掴みながらだんだん意識を高めていく。こういう手法を実行してみてはどうかと以前から思っていました。ただ思っていただけではなく具体的にそのための準備も進めました。

これは高レベル放射性廃棄物の処分とは別なのですが、燃料棒が燃え尽きた後の使用済みの核燃料を一時置く場所が必要になります。実は東京電力からこの使用済み核燃料の一時保管所を高知県内に作らないかという提案をもらいました。そしてある町長と話をして、やってみようということになりました。ただそのときには最初から情報はすべてオープンにし、住民の皆さんの不安だとか疑問を聞き、それに対する答えをお伝えして、それを住民アンケートという形で聞き取る。そこで出てきた問題点をまた何度も話し合うシステムを考えました。

東京電力も、また自分の出身母体であるNHKの世論調査の専門家にも入ってもらって、その仕組みを作り、さぁどこかいいところでやりますと、公表しようと思っていた矢先に、例の東京電力の柏崎刈羽の事故隠しの話が出て、結局、出来ないままに終わりました。

私は国民レベルで議論をまとめ、合意を形成し、それを受けて今度は地域の合意を形成する、こういうシステムをきちっと作っていくことが、このような迷惑施設と言われるようなものを建設する際には重要です。こうしたケースでは、みんなが総論としては必要だと言う。しかし、これをあなたの家の周りに作るとなるとそれは勘弁してほしいという。Not in my backyard、NIMBYと言われる施設の建設を進めていくときには、その地域にとって、その地域の住民の皆さんにとって、何が優先され、どの価値観を重く見るか。その地域にとっての"これからの正義"を頭に入れた上で、国民レベルでの合意形成、そして地域での合意形成、というシステムを作っていくことが、構想を実現するためには欠かせないと思います。

2.八ツ場ダムの建設中止をめぐる問題

第二のテーマは、民主党が一昨年のマニフェストで掲げた八ッ場ダムの建設中止という構想を実現していくにはどうすれば良いかを論じてみましょう。地域の人たちにとって"これからの正義"ということで言いますと、八ッ場ダムの本体ができる予定の群馬県長野原というところは、もう50年も60年も、この問題で揺れ動いている地域です。ですから、この地域の方々が考える優先順位に配慮し、価値観のありようを理解し、それを中心にして"その地域の正義"を照らし合わせた構想が必要です。

ただダムは、高レベル放射性廃棄物の処分場のように、一箇所の話だけで終わる話ではありません。つまりダムはダム本体だけでなく、このダムがもたらす効果やそのメリットを受ける地域の人たちの"これからの正義"も併せて考えなければいけません。

そもそもダムは何のために作るか。まさしく治水利水のためです。治水で言えば、大雨が降ったときにいきなり川に水が流れ込んで溢れないように一旦その水を山のダムに水を貯めこむこと、そこに建設の一番の理由があります。このような治水対策は3つしか考えられません。1つは川の底を掘る、もう1つは川の幅を広げる、残る1つが川の上流の方にダムを造ることです。

利根川の歴史、治水工事と公共事業

この八ッ場ダムが計画されている利根川を考えてみますと、あまりにも大きい川ですから、これの河床をずっと掘ることは物理的にも極めて難しいことになります。次の河川の幅を広げることは、これは河口から広げていかなければいけません。
というのは上流から河川の幅を広げればそこの水の通りがもの凄く良くなります。ですから次の工事の済んでいない狭いところに凄い水圧がかかり、当然災害が大きくなります。ですから、河川の改修、幅を広げるという工事は、これは利根川に限ったことではありませんが、河口から上流に向けて着手しなければいけません。

利根川の河口はご存知のように、銚子と茨城の神栖という都市部になっています。そこからずっと住宅街の何十万戸と連檐(れんたん)しているところです。ここで河口から川幅を広げていこうとすれば、これは労力も時間も費用も大変なことになる。そこで計画されたのがこの八ッ場ダムでした。

利根川の歴史について考えると、利根川はもともと銚子に河口がある川ではありませんでした。江戸時代より前は、利根川は埼玉の県境のところから東京の方へ、足立区のあたりに流れてきて、荒川や江戸川の地域を流れている川でした。

これを徳川家康が江戸に入府をしたときに、もっと沢山農業ができる地域を作り、人が住める地域、当時新田と言った地域を作ろうということで、当時の関東郡代、今で言えば関東地方整備局のような機関だと思いますが、関東郡代の伊奈一族に利根川を東の方へ付け替えろと命じました。そして伊奈一族が三代に渡り1654年にこの利根川を、今の銚子から鹿島灘に注ぐという川に造り替えました。この結果、農地や住宅地がいっぱい出来て、江戸の町が栄え、現在の東京へとつながります。

なぜこのような歴史をお話したかと言いますと、川というのは一度大きな氾濫をすると先祖返りをすると言われます。つまり元々流れていた地域に水の流れが戻ってくるのです。つまり利根川の場合は、大きな氾濫が起きるとすれば、昔流れていた東京の下町の方に激流が流れてくると想定しなければいけません。当時に比べれば地下鉄もあれば地下街もある状況の中で何が起きるかということを考えておかなければいけない。そういう意味から計画をされたのがこの八ッ場ダムでした。

水資源公団というのはこのダムを造る側の立場ですから、自分たちの都合の良いように言っているというご批判はもちろんあると思います。しかし水資源公団が作っている調査によれば、この川上の流域に大雨が降る場合、31の雨の降り方のパターンがあり、そのうち29のパターンでは八ッ場ダムの存在によって、洪水の調整が可能になるという結果になっています。

ですから八ッ場ダムの建設を中止するなら、当然そのダム本体ができる長野原の人たち、この地域の人々が今感じている一番の価値は何かを踏まえてやらなければなりません。その地域の"これからの正義"を念頭に入れたスキームが必要なのです。併せてこのダムによって恩恵を受けるはずの首都圏をはじめとする地域、その地域の方々の"これからの正義"も念頭に入れたシステムが必要になります。つまり、このダム建築を止めて何か他の手段があるというのなら、その他の手段を提示する。氾濫が起きても、言われるような大きな被害は発生しないというのなら、その理屈を適切に説明していく。さもなければ、大きな被害が起きますがこういう対策を講じましょうという情報公開をしていく。そういうことが、この構想を実現するために必要だと思うのです。

ところが今のところ、長野原については何らかの手を打とうという気持ちがあるかもしれませんが、そういう全体を見渡した広域的なメリットへの配慮をしないうちに、建設中止の話そのものがどうなるかわからないという趨勢になってしまいました。

ただ、今申し上げたようなことを踏まえた上でなお、この八ッ場ダムの建設を中止するということは、これまでの日本の公共事業のあり方というものを思い切って見直し、新しいルールを作っていくという意味で、優れて現代的な意義のある判断だと考えます。

それでは、新しいルールとは何かを考えてみましょう。一つは時間軸の中の問題、縦軸の中での公共事業の問題です。この八ッ場ダムは、最初に調査が始まったのは1952年、それから59年という歳月が経ちます。また最初に関連事業の着手をしたのが1970年のことですから、そこから41年という歳月が経ってしまっています。

先ほどの高レベル放射性廃棄物の最終処分場もそうですし、この八ッ場ダムのような大型の公共事業もそうなのですが、地域の目から見た"これからの正義"、それに基づく地元との合意形成の手法が、システムの中にデザインとして組み込まれていないのです。このために、いつまでたっても事業に着手できない。または事業が完了しないということがずっと続いていく。そういうものが実は沢山あります。

もしこの八ッ場ダムの建設を中止するのであれば、それを機会に、長い間検討してもなかなか着手に至らない、また完成に至らない事業は一度完全に止めてしまって、着工や再開が必要かどうかを適正に検討する第三者の検討委員会を作るシステムに切り替えなければならないと思うのです。

八ッ場ダムの話で50年60年時間かかっていると言いましたが、これにより工事費が膨大になっている現実があるからです。2004年に工法の見直しというのがありました。この見直しによって、それまでは総工費が2,110億円という計算だったのですが、これが今は4,600億円という金額になっています。2倍以上に膨れあがりました。

先ほど利根川の付け替えの話をしましたが、江戸時代には同じような河川の付け替えで新田を作るという事業が、利根川、信濃川、濃尾平野と3箇所で大規模な工事がありました。濃尾平野では、ご存知の木曽川、長良川と揖斐川ですが、これらの川が渾然一体として流れていましたので、この3つの川の流路を確定する事業が行われました。これは1750年代のことですが、この事業を請け負わされたのは、今の鹿児島県にあたる島津藩でした。ところが工事には予想を超えるお金がかかり島津藩の財政が破綻に瀕してしまいました。そのため工事のリーダーをしていた島津藩の家老は完了報告をした翌日に腹を切って自害しました。

それに対して、2,110億円が4,600億円になっても誰も腹を切るわけはありません。しかしこのまま放っておくと同様のことはあちこちで起きます。これが民間企業の仕事であれば、事業をいつまでに仕上げるという締切りをきちっと守らなければ、事業資金を借り入れて事業をしていますから、どんどん利子負担が膨らむ。それにより営業利益が圧迫され、自分たちの給料にも関わってくる。それをみんなが意識しながら仕事をしているからです。

ところが行政の場合には、締切りが過ぎてどんどん事業が伸びても、利子は膨らみますが、その利子は公債費という別の費目がちゃんと予算にありますから、税金から支払われます。ですから自分たちの仕事にはあまり影響がない。いわんや自分たちの懐には全く関わらない。いつまでもだらだらやっていく。そして自分の代で終わらなければ、次の代に引き継いでいけば良い仕組みになってしまいます。

ですからこのような縦軸の時間軸で公共事業を進める問題点を改めるためにも、八ッ場ダムの建設中止が本当にできるのなら、それを機会に他の公共事業でも長くかかってできないものは一旦中止をする。そして再開するかどうかを決める第三者の委員会を作って検討する新しいシステムが必要だと思うのです。

公共事業の連鎖

また公共事業というのは、時間軸だけではなく、別の公共事業を次々に呼んでいくという、横に広がっていく公共事業の連鎖という問題があります。これも自分の知事のときに経験をお話したいと思います。高知市の西側を流れる仁淀川の上流にある大渡ダムに関しての話です。1946年と1975年に大雨による洪水災害がありました。このため仁淀川の上流に1987年に780億円をかけて大渡ダムが完成をしました。この結果、洪水調整はうまくいって、仁淀川が氾濫する洪水は起きないようになりました。

しかし様々な問題が出てきます。例えばこの仁淀川の河口から東に行ったところに、桂浜という坂本龍馬の銅像が建っている砂浜があります。ここには昔は小さなきれいな小石がいっぱい流れてきて、五色の石という名前でお土産として売られていました。しかし仁淀川に大渡ダムができますと、小さな砂利や砂が川下に流れてこなくなり、五色の石もなかなか採れないということになりました。石だけではなく、この桂浜から河口までの間の長浜と言われる海岸線が、どんどん砂浜が減ってしまいました。当然堤防を強化しなければいけない。しかし堤防を強化しても結局波が越えてくる。様々な被害が起きるということで、この脇の海岸の砂浜を蘇らせるという事業を1994年から直轄事業という形で始まりました。

この事業はヘッドランドという突堤を沖合に7箇所作り、その突堤に砂をつけて全体の砂浜を広げるという工事なのですが技術的にもきわめて難しい。なかなか最初は事業が進みませんでした。2003年に事業を見直して、もう一度やりましょうということになりました。総工費の見通しは555億円という金額になりました。

同じ2003年に農林水産部の土木事業を扱う担当者が相談したいと知事室に来ました。話を聞くと、この大渡ダムの斜面の山側にある仁淀村で地滑りが起きる危険性があるという。だからここに農水省の地滑り対策の直轄事業を入れたいと思うのでぜひ陳情に行ってほしい、という話でした。それではこの地滑り対策事業で守られる利益は何なのだ、何が保護されるのだと質すと、これは知事さんもよくご存知のように、仁淀村はお茶の産地でいいお茶ができるし、そのことが中山間地域の重要な産業になっている。もし地滑りが起きてこういう農地がだめになったら、これは中山間の産業に大変大きな痛手だ。だからこの地滑り対策事業を入れようと思うのですと言うのです。

それでは地滑り対策の事業の総工費、予定事業費はいくらなのだと聞くと98億円だと言います。それではその98億円で守られる地滑りの危険のあるお茶作りの農家は何戸あるのかと聞くと、地滑り危険地帯に入っているお茶作りの農家は20戸だと言うのです。98億円÷20戸で、一戸あたり4億8000万円になる。どんなにいいお茶を作っているにしろ、どんなに地域の重要な産業であれ一戸あたりのお金が4億8000万円というお金で、税の負担者が理解すると思うのか、と言ってその時は押し返しました。

その後数日して、今度は国土交通省の土木事業を担当する土木部の職員を伴ってその農林部の職員が知事室にやってきました。実はこの間お話しした、お茶作りの農家を保護するというのは口実なのですという。本当の目的は他のところにあるのです、と。ダム湖に貯まった水の水圧で地滑りが起きるおそれがあるというのです。すごい水圧で湖周りの土を圧迫している。国土交通省は、この因果関係を認めると、全国のダムでいろいろな問題が起きるので因果関係を認めようとしない。

しかし放っておいて地滑りが起きたら大変なことになるので、このお茶作りの農家を守るという理屈で、農水省の地滑り対策の事業を入れようとしているのだ、と言います。それは本末転倒だろう。ダム湖が原因でそれが起きているのであれば、国土交通省ときちんと議論をして、国の費用で処置するというのが筋ではないかと言いました。担当の職員は、知事さんのおっしゃる通りで、それが筋ですという。だが、今の国と地方の関係では、それをいくら議論しても結論を得るには至らない。地滑り計を入れているが、微動な動きが出てきている。このまま放っておいて地滑りが起きたら、大量の土砂がこの大渡ダムのダム湖に入ることになる。これを処理するのにはまた莫大な費用になる。それどころか、これがダム湖に落ちたときが大雨の時期と重なれば、下流域で大災害が起きることは火を見るより明らかだ。こういう危険性があるのに、放っておくことはできないと言われました。私は、「それはそうだね」ということで農水省にこの直轄事業を入れてくれと頭を下げに行きました。

振り返ってみますと、大渡ダムを造るのに780億円です。そしてそれによって高知海岸の砂が削られ、防波堤を強化していくのも当然数千万から数億というお金がかかります。さらにその抜本対策としてそこに砂浜を蘇らせるという海岸事業が555億円です。そしてダム湖に貯まった水の水圧で起きると考えられる地滑り対策の事業が98億円というように、大きな公共事業というのは必ず省庁を越えて横にその事業が連鎖をしていきます。こういう例は他にも挙げればいくつもあります。

システムデザイン・マネジメント学を学ばれているみなさん方は、大きな構造物を造るときに、この構造物の初期投資のコストベネフィットだけではなく、その維持管理費がどうなっていくか、またその構造物が結局もう使えなくなってきた、それを処理するための費用、そういうライフサイクルコストで物事を見ていかなければいけないということを習っていると思います。そのために、使う素材をどういうものにし、維持管理費や最終の処理コストを少なくしていくか、そのときの環境への負担を少なくしていくか、みなさんなら頭に入れていると思います。

しかし大度ダムのように、ひとつの構造物のライフサイクルコストというだけではなく、ひとつの大きな構造物がもたらす横への連鎖ということが現実に沢山あります。更にそれがフローの経済効果をもたらしますので、それが業界との様々な関係を作ってきたというのが、従来の公共事業のシステムの持っている大きな問題なのです。

こういう連鎖、こういう問題点というものも僕は一度整理をしなければいけないと思います。しかしながら、今の仕組みのままで整理ができるかとなると、知事をした経験から言ってなかなかできないと思います。そういう見直しを思い切ってやるためにも、八ッ場ダムという象徴的なプロジェクトを中止する、そのショック療法でこうした見直しを進めていくことが、今大切な視点ではないかと思うのです。

つまり八ッ場ダムの建設を中止するときには、ダム本体ができる長野原の皆さんの思いを当然反映していかなければいけません。併せて、その流域の人たちの思いも考えなければいけない。それと同時にこの事業を本当に止めるという判断をするのであれば、それを機会に、公共事業が持つ縦軸・時間軸の問題、また横軸の連鎖の問題、経済のフローの問題をどう適切に整理していくか、その構想を実現することが必要だと思います。

逆に言えば、そういう根本的な制度を変えていくという意思がなくて、ただ単に大型の公共事業で目立つからこれだけ止めましょうということなら、ダム本体が出来る長野原地域の"これからの正義"にも、広域の流域のみなさん方の"これからの正義"にも、かなわない結果になってしまうと思います。ものごとをいろいろな観点から見ていく広い視野が必要だということをあらためて思うのです。

3.「第三の開国」― 開国の構想と実現

広い視野をもつ。その視点から3つ目の第三の開国、平成の開国に話を移していきましょう。これはTTPに参加をする、こういう構想を実現するために何かをするという話ではありません。もっと大きな視点から、日本の置かれている現状の中で、開国とは何なのか、開国という構想を実現するためには、何をしていくべきなのかを考えてみたいと思います。

第三の開国を私自身がどう受け止めているのか。僕は幕末から明治維新にかけての第一の開国、太平洋戦争の敗戦に伴う昭和の第二の開国、これに続いて今は第三の開国が求められているときだと思います。そのための準備もきちんと国内で整えていくことが今、日本にとって必要です。そのことが日本の国益になると思います。

「第一の開国」 ― 江戸時代の経済、通信と物流、人材

さあ、それでは、第一、第二の開国の時に日本はどういう備えがあったのか、今の日本とはどう違うのか。第一の開国は坂本龍馬が活躍した幕末の時代、あの黒船が来たことによって起こされた開国です。当時我が国は1630年代徳川幕府の初期に相次いで出された鎖国令により、厳密に言えばオランダなどを除く国々との貿易を制限する、人の出入りを制限するという政策を230年間にわたってとっていました。

この鎖国によって日本の社会がまったく止まったままになっていれば、そして西欧の経済などが入ってきた時にとても対応できないような仕組みになっていれば、これは開国の波に日本は飲み込まれて植民地になったとしても決して不思議ではなかったと思います。しかしそうではなく、日本はその開国の波をうまく乗りきり、アジアでは唯一の近代化を果たす国になりました。

さあどうしてでしょう。僕は230年間、鎖国という看板は出していたものの、実際は国内ではいろんな西欧からの思想が入ってきても受け入れられるような、ビジネスのネットワークが張り巡らされ、そしてそれを動かす人脈、人材を育成する。その種が蒔かれていたからではないかと思うのです。

例えば当時の経済の中心はお米です。このお米は毎年、年貢米という形で大阪に集められていました。この大阪の堂島にお米の取引をする米会所というものが出来たのが1730年、享保15年のことです。当時江戸と大阪の米商人が利権争いをしました。そのために例の有名な大岡越前が裁きをして、そして大岡越前の進言で八代将軍吉宗が公認をして作ったのがこの大阪堂島の米会所です。

この米会所は米の現物取引はもちろんですが、革命的だったのは、保証金を積めばそこで先物の取引もできるという世界で初めての先物取引市場でした。世界で初めての商品取引所はベルギーのアントワープにできた毛織物や羊毛品などを扱う取引所で1531年にできています。しかし、世界初の先物取引所はこの大阪堂島の米会所でした。

更に、世界初の先物取引所というだけではなくて、その周辺には米飛脚と言って、月に10回くらいその米の相場を大阪周辺の、また西国の米商人に知らせていくという通信のシステムもできていました。つまりこの大阪の米会所によって、世界で初めての先物取引所ができただけではなく、そのマーケット情報を各地に知らせていくような通信網も備えていたということになります。この通信郵便ということで言えば、大名や公儀の郵便物を運ぶという飛脚だけでなく、一般の武士や町人の郵便物を運ぶ町飛脚が、1663年に幕府の公認を得て、飛脚問屋という民間ビジネスとしてスタートをしました。そして東海道をはじめとする五街道に定期便を走らせ、また速達便も走っていました。そこでは郵便だけではなくて、現金為替や小荷物も扱われていました。こういう郵便の制度は、明治になってから国営になりましたので、その飛脚として走っていたおじさんは郵便局員になりました。

この飛脚を支えた飛脚問屋というネットワークは、明治以降は陸のロジスティックス、運送会社のネットワークに変わっていきました。一方、海では北前船に代表されるような廻船問屋、船問屋が海上の流通ネットワークを作っていました。さらに大切なのは、そういうシステムを動かしてく人材のことで、全国には藩校という公立学校があり、そこで学者や役人が育てられていました。またそれぞれの地域には寺子屋があり、読み書きそろばんのできる人材を育成していました。

つまり230年間、鎖国という表看板を掲げていましたが、その中ではもう資本主義が入ってきてもすぐ対応できるようなビジネスのネットワークができ、それをまた動かしていける、受け止めていける人材の種が蒔かれていたということになります。このため、いきなり開国になっても、十分にそれに対応して、その波を乗り越えていけたのです。鹿鳴館のようなやや怪しげな西欧の物まねもなかにはありましたが、多くの分野では和魂洋才、つまり日本の精神で西洋の学問や思想を取り入れていくという、極めて知恵のあるしたたかなやり方で日本流の近代化を果たしていきました。

「第二の開国」 ― 敗戦、復興、イノベーションの気風

では、第二の開国はどうだったかと言いますと、太平洋戦争の敗戦という大きなダメージがあったにもかかわらず、わずかほぼ10年後の昭和31年、1956年には「もはや戦後ではない」という経済白書が出るというくらい、早い時期に復興を果たしました。そしてその後、世界中が奇跡だと言われるような高度経済成長を果たしていくことができました。

その理由は何だったかということを考えますと、当時は当然労働者の賃金が、先進諸国に比べれば非常に安かった。コスト競争力があったということです。また1985年のプラザ合意によって、一年のうちに一気に円高に振れるという現象が起きるまでは、ずっと為替レートが日本の輸出に有利に働いていた。そういう国際環境が有利に働いたということは、忘れてはならない重要な要素です。しかしそれだけではなく、日本の国内にあった、新しい物を作り出していこう、新しい価値を生み出していこうというイノベーションの気風というものが、私は第二の開国を成功に導いた大きな要因ではないかと思うのです。

ここで言うイノベーションというのは、単に技術を発明する、それを取り入れるということではなくて、システムをあげて、企業であれば経営者から従業員までが一体になって、新しい物に付加価値を生み出していこうという気風です。例えば、電子部品として欠かせないICチップ。これはシリコンの基盤に回路を組込んだもので、原理そのものは1959年にアメリカの技術者が発明をしたものです。しかし原理だけではICチップの実用化はできません。実用化には、原理の技術を絶え間なく改良していくことが必要です。さらに設計をしていく、製造をしていく、マーケティングをしていく、そういう力が一体となったイノベーションが必要になります。

それに最初に挑戦をしたのが、日本のNECでした。東京オリンピックが終わった翌年、1965年にこのICチップの実用化というプロジェクトに取りかかり、他の企業も一斉に参入しました。そして設計、製造、マーケティングなど、そういうグループが一体となったイノベーションをした結果、一挙にアメリカの電子メーカーを追い抜き、世界が驚嘆するような高度経済成長を引っ張っていく原動力となりました。このように当時の日本には、社会の隅々にまでイノベーションの気風が溢れていた。これが第二の開国を勢いづけた理由だと思うのです。

「第三の開国」 ― 地域自立型の国へ

それではこの第一の開国、第二の開国と第三の開国を目指す今の日本の状況はどこがどう違うか。一つには日本を取り巻く国際的な環境が大きく変わっていると言えます。もう一つは、その環境に備えて、日本の準備というものが、とくに体制の整備が出来ていない。ここが前のふたつの開国と異なっています。

まず我が国を取り巻く環境の変化については、第一の開国、第二の開国の時には、列強と言われる先進諸国との間で窓口を開いて、交流を深めていけば、それで開国が事足りたという時代でした。情報化の進展を例え話に考えてみますと、ホストコンピュータという大きいコンピュータがあり、そこに接続をして情報のやりとりをすれば、それで事足りたという時代であったと思います。しかし情報化の進展によって、ホストコンピュータに繋がるという親子の関係、ピラミッドの関係ではなくて、すべてのパソコンがフラットに横につながって、双方向に情報が流れていくということになりました。それで量的にも質的にも劇的な変化が起きたということになります。

同じように市場、マーケットというものも、もちろん大きな一つの国のマーケットを持っている巨大な国もありますが、そういう国を含めて、世界で200を超す国や地域がすべて市場として一つにつながった。そこでモノも人も金も関税とか非関税とかの障壁ということを除けば、自由に動き回るようになってきたのが、第一、第二の開国とは全く違った国際的な環境だと思います。

それに対する備えということですが、第一の開国のときには、230年間の鎖国をしていたものの、実体的にはもう資本主義経済に対応できるような仕組みがありました。また第二の開国のときには、社会の隅々にイノベーションという気風が満ちあふれていました。しかし今の時代は、その新しい世界の変化ということに対応できる体制の準備が出来ていません。イノベーションの気風も、1985年のプラザ合意を契機にバブル景気に乗っているうちにすっかりいい気分になり、うさぎと亀の駆け比べで言えば、うさぎと同じように油断をして寝ているうちに、亀にも追い抜かれ、そしてそのことに失意を感じ、必要以上の自信喪失で10年20年が過ぎる状況になってきています。

それではこのような状況の中で、日本の国内の体制整備をどのような形にしていくべきかを考えてみたいと思います。どのような体制をとって、第三の開国を実現していくのか。世界の国々、地域が一つの市場として繋がるということになりました。しかもインターネット技術というものが飛躍的に発達してきています。ですから、何かものを作ろうとした時に、誰でもとは言いませんが、一定の知識のある人であれば、どこで加工組み立てをすれば一番安く作れるか、またどこに配送の拠点を置けば全世界に一番安くデリバリーができるか、立ちどころに分かるようになりました。そうなれば物の価格も賃金も安い方へ安い方へ、低い方へ低い方へと辿り着いていきます。これまでと、あまり質的には変わらない商品が、これまでとは比べ物にならない格安の値段で生産される。そういうものが世界中を動き回るという時代になってきました。

こういう時代に、日本がこれまで持っていた産業構造をそのまま維持をしていこうとすれば、生産性やコストの差を埋めるために、膨大な財政負担をしなければならなくなります。それが全国民にとってプラスならいいのですが、一部の生産者にとってはプラスになっても、消費者としての国民の多くには高コストの社会を強いられるマイナスの面が出てきます。

つまりこうした状況、世界の変化の中では、日本の国内の産業のうちどの部分を国内に残して生産性を高めていくか。そして、どの部分は輸入に任せるか。言い方を変えればどこを国際分業に委ねていくか、という産業構造の改革変革を今やっていかなければいけない時なのです。

農業を例に食糧自給率に絡めて短くお話をしてみます。食糧自給率は、日本では40%だ。これでは将来の日本の食を確保できない。だから食糧自給率を上げないといけない。よくこういう文脈で語られています。そもそも私はこの食糧自給率を出す分母分子の出し方が非常に怪しげだと思います。ドイツは食糧自給率が84%ですし、イギリスも70%です。これに対して日本は40%と言われれば、日本人の食は将来大丈夫なのか、と思う方が沢山いても当然です。

ところが、ドイツとかイギリスとかいう国は、その国民の食糧をどれだけ海外から輸入をしているか、食糧の輸入依存度と言いますが、この数字を見ると、量で見ても額で見ても国民一人当たりで見ても、いずれの指標で見ても食糧の輸入依存度がドイツやイギリスは日本より高い国なのです。日本より食糧依存度が高いのに、なぜ食糧自給率があれほど高いのか。それは多くのものを海外から輸入する一方で、それ以上に多くの農産物を海外に輸出しているからです。多くを輸出すれば、食糧自給率の分子の部分が大きくなりますから、食糧自給率が高まるということになります。

つまりそういう国々では、食糧自給率を10ポイント上げましょう。そのために農水省の補助金をもっと沢山確保しようといった人たちの旗振りに乗っかって自給率が伸びたわけではありません。世界の変化ということの中で、国際分業を第一に考え、どの部分はもう輸入に任せるか、どの部分は生産性を高めて輸出に回していくか。そういう構造改革としてやってきた結果、その結果として食糧自給率が伸びてきたと言えると思うのです。

このように農業だけではなく、すべての産業の分野で、この国際分業、グローバルな社会に合わせた産業の改革、構造改革をしていかない限り、私はTTPだどうだと言っても、開国という構想は実現には至らないだろうと思います。

それでは、この開国を進める、新たな開国に向けた構想を実現するために必要な産業構造の改革を進めるにはどうすべきか。やはりイノベーションの気風をもう一度日本の国内に取り戻すことが必要です。そのための前段として、何をしなければいけないかを考えたとき、今の中央集権という国の仕組みを改めて、国が持っている権限・財源を地方に思い切って回すことだと思います。そして地域の将来は、地域に住むみなさん方が自分たちの知恵と力で決めていける仕組みを創りあげることだと思います。民主党は地域主権と言っていますが、僕は地域自立型の国と言っています。そういう分権型の社会に早く変えていかなければいけないと思うのです。

このように国と地方の役割をきちっと分けることによって、国内の産業構造の改革に向けた戦略を作りあげることです。食糧のこと、水のこと、保健・医療衛生のこと、また公害や地球環境のこと、エネルギーのこと、こうした日本が持っているノウハウ、知恵というものを戦略的なパッケージとして新たな外交戦略を組みあげていくことが重要です。そういうことに国の力を集中していかなければいけません。
このように国が新たな戦略の課題に取り組んで行かなければならない時、国が地方のこと細かいこと、例えば特別養護老人ホームの廊下の幅は何m以上でないといったことに、逆に幼稚園の階段の幅は何十cm以下じゃないといけないとか、そんな些細なことに口を出したり、手を出したりしている暇はないと思います。

また地方から出てくるいろんな補助金を審査し、そしてそれを交付する。そんなことに国の役人が時間と労力、膨大なエネルギーを使っている暇はないと思います。自立した地方に任せられることは任せて、国は戦略的な課題に取り組んでいく。そういう国になって初めて、第三の開国に向けて、その構想を実現していく体制をとっていけるのだと思うのです。

もうひとつはイノベーションの問題です。国に縛られている体制を改めていく、解き放っていくことで、私は自然に地方の中に様々なイノベーションの芽が育っていくと思います。そもそも長いこと、国が各省庁別に補助金を配るという仕組みを続けてきました。しかし、いつまでこんなことをやっているのだと正直思うのです。補助金というのは、こうしちゃいけないと、いろんな関与、規制、枠付けがついてきます。これは全国一律にほぼなされています。ですからどこに行っても、同じような駅前が整備をされ、同じような都市公園ができ、そして全国どこへ行っても同じような商店街、アーケードが立ち並ぶということになってしまいます。よく金太郎飴と言われる現象です。このため地域の個性というものが無くなっていきます。個性なしに競争なんていうものはできません。ですからどの地域も押し並べて元気がないということになります。

もしこのような仕組み、補助金というシステムが本当に有効だというのであれば、何十年もの間に何十兆円使ったかわかりませんが、これだけの金額を使いながら、全国押し並べてどこの地方も元気がないのか。その理由を国はきちんと説明しなければいけないと思います。

補助金だけでなく、法律による規制も同様です。全国一律の規制は必要最低限にして、あとはそれぞれの地方が上乗せするということにすれば、様々な新しい動きが起きてくるだろうと思います。例えば住宅でも、一から十まで細かく法律で規制されています。そこにあの偽装事件のようなことが起きると、更にハードルは高くなって、全国押し並べて高コストの住宅を造らざるを得ない、そんな国になっています。

住宅も全国一律に決めるのは必要最低限にして、あとはそれぞれの自立した地域の、地盤や地形、自然環境、経済、そういうことを踏まえて、それぞれの地域が実質的に判断していけば、地域によっては格安に一戸建ての住宅が建てられるでしょう。そうなれば、大都市のサラリーマンが週末を過ごすセカンドハウスを建てるとか、また私たちのような世代の人たちが退職後に十年、十五年と過ごしていくようなリタイアメントの家や町ができる。いろんな動きが自然に起きてくるだろうと思います。

住宅だけでなく、環境のことであれ、第一次産業から三次産業までの産業であれ、医療や福祉、教育であれ、どの分野でも、分権改革をし、法規制でも分権化をしていくことによって、各地方で様々な創意工夫やイノベーションが生まれてくるはずです。そのイノベーションがその第三の開国を支えていく、新しい国の力になっていくと思います。

最後に

今日は、高レベル放射性廃棄物の最終処分場をどう作っていけばいいか、また八ッ場ダムの廃止ということを本当にやるならばどういう配慮が必要か、更にこの第三の開国ということを進めるには何が必要なのか、ということを自分の理屈でお話しました。

今日みなさんに申し上げたかったことは、システムデザイン・マネジメントを学ばれている方は、どうやって様々な要素をまとめて構想を作る、それをどうやって実現していくかを、様々なマトリックスを作成し、様々な理論で作り上げていくことを学ばれていると思います。ただそこに、抽象的な言い方ですが「命」や「心」を吹き込まなければ、その構想はなかなか実現に向かわないと思います。

先ほど東陽町の例を申し上げましたが、地域の人が何に一番の優先順位や価値観を置いているか、そういう地域が考える"これからの正義"に立脚して物事を進めていく。その上で合意形成の仕組みをつくっていかない限り、物事は動いていきません。

色々な構造物なり、プロジェクトなりを単体で捉えるのではなくて、時間軸から見てどうだろうか、また横への影響、横軸で見てどうだろうか、多角的に検証してください。むろん、それだけで全てが解決できるわけではありません。絶えずそういう視点をもって物事を考えていただきたい。このことを最後に申し上げて、意見質問などあれば遠慮なく手をあげてください。ご清聴ありがとうございました。

おわり

講義を聞き終えて

今回の講義の要約と解説に際して、私は橋本氏の著書『未来へ』と『知事』を参照しました。これらの著作には、本講義で取り上げている問題や解決策をより深く理解するための叙述が数多く見当たりました。

例えば、約90分に及ぶ講義内容をメモ一つも見ずに講義されたことについては、『知事』
には、「あいさつや講演では、いくら長時間であっても原稿を読むことはなく、大まかに筋を覚えたうえでメモは見ることなくしゃべるようにしている。」と触れられています。
橋本氏は、演説であれ、大学での講義であれ伝えたいことに多大な時間をかけて準備し、受け手に語り掛けるように話すことを重視されています。今回の公開講座でも実践されたのだと理解できました。

繰り返しになりますが、橋本氏が一貫して主張されていることは、地域や住民にとっての正義とは何であるか。それが「構想」を「実現」するためにも必要であること、併せて八ツ場ダムの事例のように、群馬県長野原地域の住民の正義と同様に恩恵を受ける、利根川下流域の地域・住民にとっての正義も考える必要がある点です。このような様々な正義を実現するためには、現在の中央集権体制から地方分権への転換が必要であることを繰り返し主張されています。

『未来へ』には東洋町の事例も掲載されていました。東洋町と大阪の南港を結ぶフェリーが経営難で運行休止に追い込まれたこと。そして三位一体の改革を経て、町の予算規模が以前の半分になってしまったことについて触れられています。その中で文献調査に応募さえすれば多額の交付金が払われるという現在の原子力行政のあり方に疑問を呈しています。

結果として最終処分場の実現に至らなかった東洋町の事例から、学ぶべきことは地域の住民にとっての正義を配慮すること、誘致に際しては原子力の必要性と交付金で対応するのではなく、時間をかけてでも適切なプロセスを経て進めることの大切さについて、更に三位一体の改革によって財政難に陥り疲弊した地方を再生すべく、権限と財源を地方に移譲することの必要性を繰り返し主張されています。

この公開講座の講義録と、要約と解説の作成中の3月11日に日本はかつて経験したことのない規模の災害に見舞われました。東日本大震災と呼ばれるこの未曾有の災害は、地震、津波、そして原子力発電所の事故など、様々な被害を私たちにもたらしています。特に原子力発電所の事故を目にして、本講義で述べられている東洋町の事例とそこから派生する原子力行政のあり方について、私はどのように咀嚼すれば良いか非常に悩みました。
 
私は原子力の専門家でもありませんし、公共政策にも関与しておりませんが、素人ながらにも今回の事故に際しての、原子力行政、関連団体、関連企業への批判は当然あると思います。今回の事故が発生する以前から原子力発電で発生する、高レベル放射性廃棄物はいずれかの場所に処分する必要があり、その処分場を巡る問題が東洋町の事例そのものです。
 今回の事故を受けて、今後の原子力行政のあり方や、海外への原子力発電所の「インフラ輸出」戦略にも少なからず影響をもたらすと考えられます。

しかし、その一方で、この公開講座や、2009年の著書で橋本氏が述べているように、日本の電力の需給事情を鑑みると原子力発電に頼らざるを得ない現実も存在します。それは、不幸にも一連の計画停電・輪番停電によって知らしめられた現実です。原子力発電に頼らざるを得ない日本の電力供給事情をどうするのか否応無しに問題に直面しています。

識者や各種メディアでは様々な意見が飛び交っています。より安全な原子力発電所を構築するのか、太陽光発電を中心とする新しい発電インフラに転換するのか、そもそも消費電力をより抑制できる省エネ社会づくりを目指すのかなど様々な意見があります。

多いに悩んだ結果、私は橋本氏から教わったことを思い出しました。それは「コンセンサス会議」として国民レベルで今後の電力、エネルギー行政のあり方を根本から議論し直すこと。そして、様々な分野(原子力、電力、地方財政、医療、農業などでしょうか)の専門家との対話と通じて、新しい電力行政のあり方について合意をとりながら進めていく手法です。その際には発電施設を設ける地域・住民の正義と同様に、今回の事例で言えば計画停電・輪番停電の影響を受けた人々にとっての正義も併せて配慮しながら、しかるべき道を模索することだと思います。約2ヶ月前には想像もしなかった形で橋本氏が示唆した「構想」と「実現」のあり方は、今こそ求められていると感じます。

(2011年3月25日 SDM研究科 木下雅治)