SDM Voice|細田 千尋 教授(SDM教員)
「相手のことが分かれば、コミュニケーションはもっとうまくいくはず」——脳科学の知見をもとに⼈を読み解き、個人と集団のウェルビーイングの実現に挑む細田千尋教授。
東北大学で基礎研究を続けながらSDMに着任した細田教授に、研究の原点と、エビデンスに基づく社会実装への思いを伺いました。
Profile
細田 千尋 (ほそだ ちひろ)
東北大学大学院情報科学研究科・加齢医学研究所准教授を兼任。内閣府ムーンショット目標9プロジェクトマネージャー。文部科学省中央教育審議会生活、総合的な学習・探究の時間ワーキンググループ委員
仙台市教育を科学するプロジェクト委員など。
専門分野は、脳科学、情報科学、教育・学習科学、ウェルビーイングデザインを融合した、エビデンスベースの能力拡張と人と人のつながりのためのシステムデザイン。非認知能力、教育、社会関係資本、人材育成、コミュニティ、子育て支援、フェムテック、ヘルスケア、地域共創などを対象に、脳科学を中心とした学術的知見に基づく社会実装と実証を推進。
「言語を操る脳」からエージェンシーや信頼できるつながりの神経基盤解明へ
研究の原点は、子どもの頃の素朴な疑問にあります。通学電車で一緒になるインターナショナルスクールの子どもたちが、日本語と英語を自在に切り替えて話すのを見て、「どうしたらああなるんだろう」とずっと不思議に思っていました。大学でたまたま受講した医学部の先生の授業で、バイリンガルの失語症では片方の言語だけが話せなくなることがある、と知ったとき、「言語を操るのは脳なんだ」という気づきとつながって、脳の研究の道に入りました。
大学院では、英語が苦手な人がトレーニングで英語を習得すると脳が変化するのか、という実験に取り組みました。結論として、脳は構造的に変化したのです。ただ、この実験には想定外の発見がありました。英語ができるようになりたいというモチベーションの高い参加者ばかりを集めたのに、途中でドロップアウトしていく人が続出したのです。何事も、継続しなければ力にはなりません。語学力の一歩手前に、「目標に向かって行動を継続し、くじけない」という基盤がある----この現象こそ解明すべきだと思い、エージェンシー(主体性)や非認知能力(実行機能、モチベーション)とその神経基盤の研究へと進みました。 非認知能力というと、世の中には幼児教育の話があふれています。しかし、非認知能力を支える前頭葉(前頭前皮質)の機能は発達が遅く、思春期から20代半ばにかけてどれだけ発達させられるかが重要です。巷の言説と科学的な現実の乖離を埋めるために、きちんとエビデンスをつくらなければいけない。そして研究を進めるなかで、親子のコミュニケーションや家庭のあり方がその基盤として大切であることも明らかになり、「子どもが育つ環境」の研究へとつながっていきました。傍からはバラバラに見えるかもしれませんが、私の中ではすべてが一つのストーリーでつながっています。
相手が「分かれば」、コミュニケーションはもっとうまくいく
私の研究に一貫しているのは「個別最適」という考え方です。教育でも人材育成でも、何がフィットするかは人によって違う。薬でさえ、効く人と効かない人がいます。個別最適が重要だと誰もが言うけれど、そもそもその「個」がどんな特徴を持った人なのかを、私たちは知らないままでいる。だからまず、脳情報に加えて生体情報を記録し、心理指標をとって、個人の特徴を可視化する。その人ならどうすればモチベーションや主体性を発揮できるのか、を科学的に示すことが原点です。
そして人を「分かる」ことは、コミュニケーションに直結します。ウェルビーイングは個人だけでは完結しません。ウェルビーイングの高い3人が集まっても、そこで良くないコミュニケーションが起これば集団のウェルビーイングは下がる。個人を高める方法と集団を高める方法は、おそらく同じではないのです。この二つを両立させるメカニズムを、計算論などを使って可視化していきたいと考えています。根本にあるのは、人と人との信頼がどう醸成されるのか、という関心です。「この人になら子どもを預けられる」「この人は困ったとき助けてくれる」----そう思える関係性とは何なのか。思いやりのような、これまで抽象的にしか語られてこなかったものを、科学の言葉で紐解いていきたいのです。
そのためのアプローチが「心のデジタルツイン」です。AIを使えば、これまで処理しきれなかった膨大なコミュニケーションのデータを解析できます。実データから人のコミュニケーションの反応をAI上でモデル化し、その妥当性を検証しながらシミュレーションできれば、実際の人を傷つけることなく、関わり方を試せるかもしれません。私たちは普段、「この人にはこう関わればいい」ということを経験則でやっていますが、その関わりが相手にどんな影響を与えているのかは、実は知らないままです。相手の状態に応じてかける言葉を変えるとどうなるか----それが見えるようになれば、相手の心を学ぶことは経験則や個人のスキル任せではなくなる。相手のことが分かれば、コミュニケーションはもっとうまくできるはずなのです。
エビデンスの普遍性を大切に、社会実装へ
現在も東北大学に研究室を持ち、基礎研究はそちらで続けています。SDMでは、より実装に近いところ、今すぐ社会で何かを実行するような研究に取り組みたいと考えています。たとえば新しく入ってきた学生が不登校をテーマに据えており、基礎研究の知見と、実際の支援活動の効果検証とを突き合わせる作業ができると思っています。その背景には、「子どもを社会全体で見守る」という問題意識があります。日本では、子どもに何かあると、すべてを親の責任として責める風潮がありますよね。共働きが当たり前になった今、それでは閉塞感しかありません。チームで仕事をしていて誰かがつまずいたとき、全体でリカバリーしようとするように、人が育つ環境にも、本人や親だけを責めるのではなく、周りがどうカバーできるかを考える枠組みが必要です。人口が減っていく社会では、なおさらだと思います。
地域との協働も進めていて、佐渡では、伝統行事を支えるわらじ作りの担い手として子どもたちが活躍することで、学校以外の居場所と地域への貢献を同時に生み出す取り組みに関わってきました。地域に貢献することで、子どもたち自身の価値が認められていく。そういう仕組みをデザインしていきたいのです。
SDMの学生は社会人や起業家が多く、着眼点が面白い。一方で、大学で研究をする以上、大切にしてほしいのは普遍性です。もちろん最先端の科学は、計測技術や解析法の進歩によって時代とともに結果が変わっていくものです。それでも、その時点で誠実に手続きを踏み、一般化できることをきちんと示す。自分の手法が「効く」と信じるだけでなく、誰に効いて誰に効かないのか、本当に効果があるのかを検証する。ネガティブな結果ならそれを次にフィードバックすればいい。それがNPOの活動と大学の研究の違いだと思います。特に心や脳に関する分野は、一歩間違えると疑似科学的な怪しい話になってしまう。だからこそ、評価とエビデンスに徹底的にこだわりながら、SDMで社会実装に挑戦していきたいと思っています。
